ryuichy blog: 2003年03月
2003年03月31日
HYOGENSHA
今日はライブコレクションという福岡のイベントにゲストという形で出演させていただいた。
年に2回のこのイベントは、九州(主に福岡)の旬なバンドを10くらい集めて9時間くらいぶっ続けでライブやるイベントで、これまでにナンバーガールやMO'SOME TONEBENDERなど(他にもたくさん)輩出しているイベントである。
最近なかなか福岡のバンドをゆっくり見れる機会もあまりなかったので、今日はたくさんのいいバンドを見れていろいろ勉強になりました。
いろんなバンドを見ながらぼんやり考えてたんですが、やはりみんなそれぞれ表現したいことがさまざまなんだなぁ、ということでした。
僕は、ミュージシャンはミュージシャンである前に表現者たるものだ、というのが持論です。
表現者というのは、良くても悪くても、または人に好かれようが嫌われようが、オノレのタマシイを人にさらけ出して、「俺は、私は、ここにいる」ということを人様にわかってもらうことだと思っております。
「俺は、私は、ここにいる」
ということを。
ごくたまに、恐れを知らない表現者に出会うことがあります。
彼(彼女)らは本当に光っております。まばゆいくらいに光っててこちらが戸惑うほどです。
彼らの前に赤い絨毯が転がりながら道を作っていくさまが目に浮かぶような、そんな気さえするほどです。
そして逆に、恐れを知っている表現者にも出会います。
彼(彼女)らはまばゆいほど光ってないのかもしれませんが、彼らのその作品の本質はたくさんの悩みや愛や努力やナミダで構築されています。それは時間をかけて熟成されて人に伝わっていきます。
人は誰もが表現者です。
誰もが自分の人生を様々な形で人に伝えていくはずです。
みんないろいろです。
あなたはどうですか?
2003年03月24日
「反戦」がいえない。
ひきつづき戦争のハナシです。
よくよく考えても、やはりむずかしい。
僕は「NO WAR」と声高々に言うことができない。
なぜだろう。(もちろん戦争は反対だ。絶対に反対だ。)
でも、このままフセインを野放しにすることは危険だろ。
クエートに侵攻してイラン・イラク戦争をふっかけたのはフセインだ。
3万人のイラン人を化学兵器で虐殺し、
イラクの少数民族クルド人(つまり自国民)数千人も化学兵器で虐殺した。
大統領就任の会見の場においては、その場にいた同志を「裏切り者」として連行、処刑。
その後国連決議を無視して12年間大量の虐殺兵器をつくり続けたのも奴だ。
こんな奴が、地球を何回でも滅ぼすことができる大量の破壊兵器や化学兵器を手元に置いている。
このままだと、それらの兵器はやがて世界に拡散し、過激派テロ組織や北朝鮮等の手にも渡ることになる。
それらの国や組織がそういった兵器での軍事力を備えてしまったら、アメリカや日本、韓国といった民主主義資本主義の国家に威圧をかけてくるに違いない。
そうなったら最悪の世界大戦、核戦争にまで発展する可能性がでてくる。
そうなったら反戦も何もない。
地球が滅んでみんな死ぬ。
俺も死んで君も死ぬ。
かもしれない。
だからといって単独行動で攻撃にでたアメリカに両手を挙げて賛成することはできない。
でもこれ以上査察での猶予をイラクに与えたところで、イラクが素直に従うことはありえなかっただろう。
なにかよい方法はないのだろうか。
一つあるとするならば、
こんなモヤモヤ論を世界のみんなが一人一人考えることかもしれない。
みんながちゃんと正しい歴史と真実を認識して
愛をもって隣人と接する。
極論だな、こりゃ。
むずかしい。
戦争は反対です。
でも今回は、何も考えずに「反戦!」とはいいきれない。
なんだかよくわかりません。
明確で前向きで確固たる答えが知りたい。
そこで初めて「NO WAR」といえる気がするんです。
誰か教えてください。
2003年03月21日
まったく正当性の無い戦争がはじまった。
国連決議を回避してまでも強行に出た米国の姿勢に
日本は支持を表明した。
とても残念だ。
僕個人としては小泉内閣をもう少し長い目で見よう、と
支持していたこともあり、なんだか裏切られた気持ちだ。
しかし、北朝鮮問題等の部分でアメリカに頼らざるをえない
今の日本の国家としての状態に歯がゆさを感じる。
平和憲法をもつこの国が、世界中の誰もが理不尽だと
感じているアメリカの姿勢になぜ賛同するのか。
たとえどんな理由があろうと、国民のために絶対にそこは
譲ってほしくなかった。
「NO WAR」。
口でいうのは簡単だ。
だが権限をもつ人間は知っている。
国民が一丸になれないことを。
誤解を恐れずにいうとするならば。
フセイン政権が続くのも、
ブッシュ大統領が感情で兵を戦地に赴かせるのも、
説明もなく戦争に加担する立場をとるこの国の首相も、
いわば我々が選んでしまったようなものなのだ。
戦火の中で死んでゆく人々には何の責任もない。
だけど戦争が起こってしまうことは、
それをなんとしても食い止められなかった僕ら世界中全ての人の責任だ。
きっと、とてもとても難しいことだ。
世界が永久に平和であることは、
不可能なくらい難しいことだ。
だからこそ。
僕達はここで踏みとどまって、噛みしめなければならない。
世界平和という、困難な道のりにむかって世界が歩んでいくことがどれだけ大変なことか。
そして、争いはフィクションのようにいとも簡単に始まってしまうということを。
2003年03月17日
何日か前に、人間の遺伝子というかDNAの未知なる力はスゴイぞー、
という番組をやってたんですが、それを見て「おお!」と思ったことがありました。
なんでも日本人のルーツをたどっていくと
9人の母親にたどり着くらしく、(どれくらい昔かわかりませんが
かなり大昔でしょう。)
ということは。
ということはですよ、これを読んでるあなたと僕は、
遠い遠い親戚にあたるかもしれないということです。
僕は以前からなんとなく、
「この人とあの人は、お互いを知らない全く関係の無い人だけど
なんだか性格や趣味嗜好が似てるなー」
なんて思うことが多々ありました。
(そんな経験ないですか?)
また他にも、初対面なのになんだかピンとくる人は
「きっとこの人は僕と似てるんだろうなー」
なんて事も勝手に思ってたりもしてたんです。
たとえば、僕の北九州の友人Aちゃん(女性)は、
僕の長崎の幼なじみ、H君(男性)に非常によく似た点を持っています。
また、この二人はきっと、
会ったことないですが僕が想像しうるに、
SMAPの香取慎吾とも共通点をもっているはずと思います。
何の根拠もないですが。
しいて挙げるなら、明るい性格と
手の指の動きが似てます。
大学の友人K君と、元マーカススタッフのM君も
性格や好みがヒジョーに似てました。
自分的には、この「なんだか似てる人探し」はとても面白くて
無意識のうちにいつもやってるんですが
そんなことやるの俺だけかなぁ、なんて思ってたところに
ちょうどそんな番組があったので
まんざら俺の勘も悪いわけではないなぁ、とちょっと嬉しかったんです。
むかーしむかーしに、
友人達と飲んでたときに、途中で合流した友人の彼女さん(初対面)が、
いやに僕を意識してるような気がしたので
「ヤバイこれは俺に気があるのでは」
などとアホな勘違いをして一人で勝手に焦ってたら
「なんだか私のおとーさんにすごく似てる」
といわれ周囲の笑いの的にされたことがあります。
—昔の彼とかならまだしも「おとーさん」かよ。
そんなこんなで今日のハナシはおしまいですが、
皆さんも身近で「なんだか似てる人」探しをやってみてください。
結構おもしろい。
んじゃ。
2003年03月13日
先日のツアーが終わって帰ってきてすぐに、各地でのキャンペーンや新しくオープンしたDrum Be-7でのプレイベントライブなど、たてつづけのスケジュールでバタバタしてました。あー忙しかった。
それにしてもやっぱり長崎はよい街だ。
ゆるくて雑多で適当でゴチャゴチャしてて車のマナーが悪くて
なんだかいろんな文化が混ざってて道が悪いし細いし坂が多いし。
でも、得体の知れない愛がそこら中に転がっている。
キュートだ。
愛してるぜNAGASAKI。
僕は長崎弁の女の子が好きだ。優しい感じがする。
その次は博多弁の女の子が好きだ。九州のオンナって感じがする。
そのまた次は関西弁の女の子が好きだ。手に負えない感じがよい。
まぁでも女の子はみんな好きだ。 すいません。
来月から約2ヶ月間もの間、鬼のようなツアーが始まる。
「死んでこい」と言わんばかりの日程である。恐ろしい。
体力をつけて挑まないと、とてもじゃないが太刀打ちできそうも無いので
そろそろ体を鍛えようと真剣におもっておるところです。
でも今回は東北や北陸など、行ったことがない土地も多いので
その土地その土地の女の人の方言を聞くのが僕の密かな楽しみです。